この世界において自分では決して気づかないことがある。

車のブレークランプが切れていることは誰かに指摘してもらわないことにはわからない。

当然のことながら自分は自分の車を運転しており、自分の運転している車を自分では見ることはないからだ。

偶然後ろを走って来た同僚の教員から、右側のブレーキランプが切れていましたよ、と指摘されて初めて知ることになる。

このように誰かに指摘されて初めて気づくことが日常の行動にもあるのかもしれんな。

おそらくブレーキランプは何かのメタファーであって、神の啓示の如くわれらは大切な教えとして受け取っていかねばならんのやろうな。